「アイってなんだ?」 地域の学校Vol.9

いま、塩尻で新しい学校をつくろうという動きがあります。
0からつくる、まったく新しい民間の学校です。この学校を、どんな場所にしていくか?
子どもたちのために、どんな授業や、どんな人が必要だろうか?
今まさに、学校のアイデアは広がっている途中です。
本連載では、このミーティングの内容を中心に、学校をめぐる動きをレポートしていきます。

今回は「アイってなんだ?」です。

「アイってなんだ?」 地域の学校Vol.9

7月の終わりのこの日、「ゆっこの部屋」の新しい参加者として、みちこさんが加わりました。みちこさんは、保育士として働きながら、子育ての真っ最中です。そんなさなか、学校の在り方について疑問を持ち、ご自身でいろいろな学校のことを調べているのだそうです調べる中で出会ったいくつかの意見には、共感できるものもありました。そうした意見に共通していたのは、学校を「自分らしくいられる」「安心していける」場所としてとらえているということだといいます。子どもたちが尊重される場であることが大事、というのは、私たちが考える学校にも共通することです。

誰かが話を聞いてくれなかったり、自分が興味を持たれていなかったりという感じは、子どもでも敏感に感じています。私たちの子ども時代を思い返してみても、自分が嫌な思いをした瞬間というのは案外覚えていたりします。自分が尊重されているかどうかは、言葉だけでなく、その雰囲気からも感じられます。そうしたことを踏まえると、学校を子どもが安心できる場所にするには、言葉に限らず、「心から子どもを尊重できる」大人が必要になります。

「どんな社会になったら嬉しいですか?」

この日、ゆっこさんから共有されたのは、「どんな社会になったら嬉しいですか」という文章です。以下に、ゆっこさんの文章を引用します。

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どんな社会になったら嬉しいですか?
どんな世界になったら嬉しいですか?
自分が本当に心からワクワクするような世界はどんな感じですか?

目先の小さな成果に惑わされず
起きては過ぎていく結果に一喜一憂せず
もっと大きな視点で、ビジョンで
世界中を、地球を包み込んでしまうくらいの愛で
信じてみませんか?
私たち、一人一人の無限の力を。

想像してみて下さい
みんなが自分のやりたいことに夢中になって
それを本当に幸せな顔でやっていて
見ている人も、一緒にやっている人もみんな吸い込まれるように笑顔になっていって
幸せな気持ち、嬉しい気持ちでみんながひとつに繋がっていて

辛いことがあっても
辛いって正直に言えて、悲しいことがあっても悲しいって素直に言えて
そして、そんな自分を愛おしむことができて
すべて認めて許して
そんな風に自分自身を 包み込むように柔らかく生きていけて
みんながみんな、 いつも愛を感じて安心していられて

さぁ、そこに競争は必要でしょうか?
誰かに勝つことは自分の幸せに繋がることなのでしょうか?
目標を達成したら、欲しいものが手に入るのでしょうか?
地位や名声は自分を安心させてくれますか?

人は本来、助け合い支え合うことはできても、人を裏切ったり傷つけたりはできないはずです。

一人一人の価値を認めることは大変でしょうか?
一人一人を尊重することは無理なことでしょうか?

多種多様な生き物がいてこそ、地球は、こんなにも美しいのです。
私たち人間も、いろんな人がいるからこそ、一人一人が美しく輝けるのです。

自分本来の力で表現するには、自分に正直に生きるしかありません。
自分のハートを誰よりも自分で信じるしかありません。
何か特別なことをする必要もありません。
自分の価値を誰かに示す必要もありません。

ハートで生きるんです。
自分自身への愛で生きるんです。

愛に満ちた人がこの世界に溢れたら、どうなるでしょう?

想像してみて下さい。
そんな世界を。

そして、今、ここがその世界です。
そんなのあるわけないと思ってらっしゃる方いますか?
さぁ、ここがそこです。

安心と勇気と幸せが、とめどなくやってくるこの感覚を
どうぞ、お家に持ち帰って下さい。

これは、思い出すたびにやってきます。
忘れることはできませんから、安心して下さい。

教育とは、本来持っているこの力を邪魔することなく大切にしていくことだと思っていま
す。
いろんな知識も必要でしょう。
いろんなサポートも必要でしょう。
何もかもが、子ども達の為に役立つでしょう。
知識や資格や学歴など、どんなものを持ったとしても
人としてからっぽでは、何の役にも立ちません。
自分が満たされていなければ、愛を伝えることはできません。
大丈夫だと、安心させてあげることもできません。
世の中の為に、誰かの為に役立つことはないでしょう。
ここでは、その基本を学びます。
そして思い出します。
愛です。
自分自身への愛です。信頼です。
愛のある意思が行動を起こします。行動を起こします。

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ゆっこさんは、自分が本当に心からワクワクするような世界を作るために、なによりもまず「自分への愛」を挙げます。

> 自分本来の力で表現するには、自分に正直に生きるしかありません。
> 自分のハートを誰よりも自分で信じるしかありません。
> 何か特別なことをする必要もありません。
> 自分の価値を誰かに示す必要もありません。
> ハートで生きるんです。
> 自分自身への愛で生きるんです。

今回の話が盛り上がるにつれ、筆者は少し自分に自信がなくなってきました。というのも、自分の心からの感情というのは、筆者はいまだによく言い表せないなと思ったからです。
例えば、他人に「愛している」と言葉で言われたとします。でも本当に愛しているかどうかはそれだけでわからないのは、筆者にもわかります。心からの感情は、言葉だけでは伝わらないので、それ以外のものが必要になります。逆に言えば、自分で相手への愛を言葉にできたとしても、自分が「心から」そう思っているか、といわれると、アイってなんだっけ?という状態になって、ますます自信がなくなってしまうのです。それに「愛している」ということと、相手が安心していられるように「尊重している」ということは、また別の問題のようにも感じます。

また、「他人への愛」はまだなんとかイメージできるものの、特に「自分への愛」はさっぱりです。家族や恋人、友人を、(その形はさまざまでも)同じ「愛」という言葉で表現するときは、大切に思っているとか、感謝しているとか、いろいろな感情が実感として浮かびます。私は、言葉が浮かべば感覚としてわかった気になれたのですが、「自分自身を愛している」という感覚は、なかなか言葉では浮かびません。一体どんな言葉や感覚があれば、自分を愛していることになるのでしょうか。今回は、筆者の正直な疑問を、参加者のみなさんにぶつけてみました。

あみさんは、家族への愛は行動に表れてくるといいます。料理やお掃除など、家族のための行動をすればするほど、家族を愛している実感がわくといいます。一方、自分の趣味が高じて、最近マクラメ編みを始めたそうです。当初は他の人の作品を真似するところから始めたものの、今では作った作品を販売するように。そんな中、自分のオリジナル作品を作らなければという意気込みから、うまくアイデアが浮かばないと不安になってしまうこともあるといいます。でも、手を動かせば動かすほど不安が消えるのだそうです。手を動かしたり、体験したりすることがあって、だんだん自信になっていくのだといいます。

一方よしみさんは、自信をもって「自分を愛してると言える」と語ってくれました。それも、普段から自分に対して「疲れていてもお料理をつくった、自分えらい!」とほめるようにしているからだとか。それから、ときどき自分の視点を、宇宙に飛ばす(!)といいます。自分や子ども、住んでいる塩尻やいろんなことを見るとき、宇宙から、つまりものすごく鳥瞰で見るようにすると視点がかわるのだといいます。

頭でっかちな筆者は、何かを理解しようとするとき、言葉や知見に頼りがちになる癖があります。でも、「自分自身への愛」についてみなさんのお話を聞いていると、言葉はあとからついてくるだけで、「自分の答えはすでに自分で持っている」という確信のなかでお話しているのを感じました。それは「新しく知る」のではなく、「すでに知っている」ことを思い浮かべたり、言葉にしたりすることで、より確信に近づけるという作業なのかもしれません。筆者がわからないと感じるのは、自分が「すでに知っている」ことを思い出す思考回路がまだできていないからかもしれません。

大人との関わりと学級担任制

私たちは、昔から自分のことを言葉やその他で表現する機会は、さほど多くなかったように思います。教師であるふなさんは、今の中学校の子どもたちについて、人目を気にしたり人と比べたりしがちで、自分らしく生きることをおさえてしまう傾向があるといいます。こうしたとき、教師など周りの大人が、子どもたちに安心感をもたせるメッセージを出せるかどうかがカギとなります。一方、教師たるや、個人の考えよりも「教師らしく」振舞うことのほうが大事という風潮が強い場合も、いまだにあります。そうした大人のもとでは、個々人がもつ「自分らしさ」よりも、クラスのまとまりや同一性が求められることになります。

教師もまた人間であり、それぞれ異なる考えを持っています。自分と異なる考えを持っているからといって、それが悪だとは限りません。人間同士、合う教師もいれば、合わない教師もいるのは、当然のことです。でも、自分と異なる考えの人に、自分の考えを押し付け、それ以外を認めないとなると、とてもつらいものです。特に、学級担任制が敷かれる学校で、担任が全く考えの合わない人だった場合、子どもにとっても教師にとっても、逃げ場のないつらい期間になってしまいます。最近では学年担任制を採用する学校や、チームで何人かの子どもをみる学校もあります。「人によっていろんな意見があり、その違いに良し悪しもない」という事実に拠って立つといえば、確かに当たり前のことのように感じます。

やりたいことをやる覚悟

一人ひとり違うという事実に拠って立つと、もちろん、一人ひとりやりたいことも違うということになります。ゆっこさんは、自分がやりたいことを表明することや、やりたいことをするというのが一番だと断言します。
一人ひとりがやりたいことをやるのは、はじめは結構勇気がいることかもしれません。でも、あみさんは、そのほうが絶対、社会にもいい影響がある!といいます。やりたいことをやってるほうが、人から「楽しそう!」って言われることが多くなります。そうしたポジティブなエネルギーは、周囲の人にもよい影響を与えます。特に子育て中のあみさんは、子どもにも「自由に生きなさい」と言いたいから、手本として自分も自由に生きると決めたのだといいます。自分が言っていることと、やっていることに矛盾を生じさせない、強い覚悟を感じます。

自分のやりたいことをするためには、学校や先生が何かしてくれるのを待つだけではうまくいきません。ましてや、評価軸を他人に持っていってしまうと、自分がやりたいこととはますます乖離してしまいます。自分が楽しいかどうかを常に一番の評価として据えられるようにしたいものです。
そのためには、私たち大人も大きな覚悟が必要です。子どもたちを徹底的に「尊重する」という覚悟をもって、一人ひとりが行動を起こすしかないのです。ゼロからは何も生まれないのですから。