環境は学びに影響する? -地域の学校vol.4-

いま、塩尻で新しい学校をつくろうという動きがあります。
0からつくる、まったく新しい民間の学校です。この学校を、どんな場所にしていくか?
子どもたちのために、どんな授業や、どんな人が必要だろうか?
今まさに、学校のアイデアは広がっている途中です。
本連載では、このミーティングの内容を中心に、学校をめぐる動きをレポートしていきます。

今回は「今回は、最近の学校の雰囲気はどう?」という質問から。

環境は学びに影響する? -地域の学校vol.4-

壁のなかのコーディネーター

最近、学校支援コーディネーターとして活動を始めたよしみさん。活動が始まったばかりということもあり、周囲の先生たちとの間に、なんとなく壁を感じるといいます。

普段の学校のようすは、直接見られないことがほとんどです。「外部」から入ってきた人は、先生たちの関係性を観察し、まずどのように行動するか探ることから始まります。

しかし、外部と隔絶されているからなのか、先生たちの関係性は強固で、自分が入りこむ余地がないように感じるといいます。現役の先生であるふなさんは、いまの多忙な先生たちにとって、外部の人を受け入れるキャパシティがないかもしれない、と語ります。

新しい試みをしようとすると、どうしても業務が増えてしまう。せっかく新しい試みをする仕組みがあるのに、活用しきれない現状があるようです。

学校支援コーディネーターの先輩であるゆっこさんは、昨年の活動の中で、コーディネーターとしての立場ではなく一個人として先生方と対話してきたといいます。学校の中に立場への理解者がおらず、組織として動くのが難しいのであれば、一個人のお願いであればどうかと考えたのです。

お願いの結果、外部講師による講演会が実現しました。ゆっこさんは、新しいアイデアの実現に必要なのは立場よりも、まず先生方との個人のつながりかもしれないということを語ってくれました。

個人的に「おもしろい!」と共感してくれる先生がいれば、おのずと企画は実現に向かうようです。

「大学っぽい」授業?

講師として大学にかかわる山田さんは、今年うまくいかなかったこととして、一つの事例を打ち明けてくれました。

山田さんは授業の一環として、学生のグループのプレゼンを手伝いました。学生たちは、バイトなど忙しい学生生活のなか、プレゼンを準備しなくてはなりません。当然、授業後にプレゼン準備のために時間が取れる子と、取れない子がいます。加えて、そもそも授業内容への関心も学生によって異なります。そうした中、なかなかプレゼンの準備がうまく進まなかったのだそうです。

山田さんは最近の「ゆっこの部屋」や苫野一徳さんの読書会を経験するなかで、そもそもこの状況に違和感を覚えたといいます。

大学の授業時間は90分、学期は半年と、学ぶ時間に制限があります。そして、グループで全員が同じ活動をする前提で授業は作成されています。本来は自分の関心に従って学べるはずなのに、仕組みがそうなっていないのではないか、と山田さんは語ります。

大学では、時間や学期といった制約があるほかにも、「先生」として学生への発言には気を付けなければなりません。立場としてではなく、個人としての意見は「圧倒的主観だけど」と前置きをすることで、学生が受け取り方を迷わないよう気を付けています。

学びの形を変えようと活動してきた山田さんですが、結局「大学っぽい」ものになってしまうことを、歯がゆく感じているようです。

本業じゃない学校

「学校での自分」と「家での自分」はたびたび異なります。

小説家の平野啓一郎さんは、環境や人によって自分の振る舞いなどが変わる状態を、「個人」に対して「分人」と呼んでいます。(参考:私とは何か――「個人」から「分人」へ

平野さんによれば、個人とは、分人の集合体でしかないといいます。環境によってさまざまな自分がいるのは当然のことで、どれも自分です。そして、1つの環境でうまくいかないことに出会ったとき、ちがう「分人」が助けてくれることもあるようです。

「ゆっこの部屋」は、「学校をつくる」という目的こそありますが、毎回特にすべきことを決めているわけではありません。参加も自由で、来ない人もいれば、子どもを連れて参加する人もいます。本業である仕事や家事をこなす日常の傍らに、ときどき開催される不思議な雰囲気の会です。

ここでは、「やりたいことが決まってない人も、無目的でもいいから、その場にいていい」という暗黙のルールがあります。この場があることで、参加者の多くが、本業での苛立ちや居心地の悪さが減ったと感じていることが、今回の対話でわかりました。

仕事では、パラレルキャリアや副業といった形で、一方のキャリアに軸足を置きながら、もう一方のキャリアを続ける働き方をしている人はすでにいます。そこで、学校でも同じようなことができないだろうか、と考えてみました。

例として、サドベリースクールが挙がりました。

サドベリースクール

http://tokyosudbury.com/より引用)

この学校ではカリキュラムがなく、子どもたちがそれぞれ自分の興味に沿った活動をしているので、ほかの人が何をしていようと気にしません。昼食の時間も決まっておらず、食べたい時間に食べます。学校そのものが「いていい場所」の仕組みになっています。

しかし、塩尻で学校に通う子どもたちにとって、サドベリースクールは遠方です。存在を知ったとしても、生活のすべてを変えてまでの転校には踏み出せない家庭も少なくありません。

また、昨今の技術革新によって、塾だけでなく家庭でもICTを活用した学習手段が増えてきました。しかし、塾や通信教育も一定のカリキュラムを持っているものが多く、学校の勉強を補佐する立場におおむね沿ったものです。

私たちが目指すのは、子どもたちが何を学ぶか自分で選び、誰でも来られる、何をしていてもいい場所です。こうした学校を作るにあたって、フリースクールか公教育かといった制度としての学校の形式には特にこだわらない、とゆっこさんはいいます。少なくとも「公」に向けた教育を目指していれば、それが公教育になるかもしれないね、と語っていました。

環境は学びに影響する?

宇宙人と呼ばれて

対話が盛り上がると、かなりリアルな話題も飛び出しました。

ゆっこさんは、幼少時によく大人から「宇宙人」扱いをされた話を語ってくれました。大人から話が通じない、わからないと言われても、当時は意味がわからず、コミュニケーションのとりようがなかったといいます。

また、大人になってそういう場面に遭遇したというよしみさんは、ゆっこさんと出会って話したとき「話が通じる!」と感動すらしたそうです。相手を「宇宙人」というときは、大抵、コミュニケーションがうまくいっていないときだと考えます。会話が通じない原因は、何なのでしょうか。

教員経験があるさとみさんは、ゲーム好きな男の子に接したときのことを話してくれました。当時、勉強が苦手で保護者を悩ませる男の子に対して、つい批判的に接しがちだった自分を、今では少し反省しているのだといいます。

なぜなら、ゲームが得意なことをよくないことだと決めつけたり、その男の子の考えを聴かずに叱ってしまったりすると、もちろん子どもが反発するということを今では理解しているからです。「あるべき姿」ばかりを子どもに押し付けるのは、一方で相手への興味を持っていないというメッセージにもなりかねません。

とはいえ、普段の生活のなかでは、間違ってしまうこともあります。コミュニケーションの取り方が悪かったかも、と気づいたら、少しずつ修復をしていく方法があります。

文化人類学者の松村圭一郎さんは、著書のなかで、「うしろめたさ」という感情の社会での重要性を挙げています。(参考:うしろめたさの人類学

日本は、障がいを持つ人や生きづらさを抱える人をとかく囲ったり、排除したりしがちな社会です。

例えばエチオピアでは、障がい者も物乞いも社会の一員として同じ空間の中で生きています。生まれた場所が違うだけで不自由ない生活をしている日本人の著者は、貧しい立場の人に出会ったときに感じる「うしろめたさ」という感情を無視しないでほしい、と松村さんは言います。

著者は物乞いの子どもたちに出会ったときに、その感情に向き合い、関係性をむすぶために、エチオピアなどを旅するときにはガムなどのお菓子をいつも持っているのだそうです。うしろめたさを無視せずに、目の前の人と向き合うことで、断絶された関係性がつなぎ直されされ、新しい社会の可能性が開けるといいます。

子どもを叱ったとき、だれかと言い争ったとき、自分の中にもやもやが残っていたら、その正体はなんなのか?こうした問いを持つチャンスは、日常のなかにたくさんあるはずです。

退屈な日常を変えた意識づけ

山田さんが、ネガティブな環境を動機付けによってポジティブに転化した例を紹介してくれました。

ある企業で事務職に就いていた女性は、毎日金庫番としてお金を取りに来る人たちにお金を渡すだけの仕事をしていました。この仕事を続けていて大丈夫なのだろうか…と考えた彼女は、将来自分がなりたいものを考えてみると、「かわいいおばあちゃんになりたい」という夢が浮かびました。かわいく年を重ねることは一朝一夕にはいかないものです。そこで彼女は、今からその練習をすることに決めました。お金を渡すという業務の傍ら、取りに訪れた従業員を笑顔にすることを目指したのです。すると、自分の仕事への姿勢が全く変わったのだといいます。

毎日繰り返す行為も、考え方次第で姿勢もモチベーションも180度変わります。自分の意識をきちんと自分の目指したいベクトルに合わせていくことの意義がよくわかるエピソードでした。

学ぶ環境の話も、自分の意識づけの話も、どちらも大切なのだと学ばされた今回は、それぞれの参加者にとっても学びの多い機会となったようです。

ゆっこの部屋では、みんなで話しながらも、自分自身の振り返りに自然と意識が向かっていくような雰囲気があります。こうした状態は心地よく、前回の記事に出てきた「本業に軸足を置きながら、もう一方の場所をもつと本業の居心地もよくなる」という現象になっていることを確認しました。新しい学校や、新しい居場所の形が、だんだんと見えてきています。