「農的暮らし」の甘い罠

最近よく耳にする「農的暮らし」という言葉。なんとなく耳障りもよく人を惹きつけるワードだと思います。
今回は実際に都会から移住し農業暮らしを始めた方へのインタビューを行いました。実際に移住してどうだったのか、リアルな声を聞いてきました。

「農的暮らし」の甘い罠

「農的暮らし(或いは「農的生活」)」という言葉があります。

辞書に載っている訳ではなく、明確な定義のない言葉ですが、世の中の片隅でぼんやりと共有されている意味としては、「生業として『農業』に就くのではなく、収入源の仕事とは別に『農』のある生活を営む(例えば、住まいと密接して家庭菜園を持ち、食卓にはなるべく自家製の農産物を載せる)」といったところでしょうか。
何せ曖昧な言葉である為、使う人によってイメージするものが異なってきます。そして、曖昧であるが故にハードルが低く、人を惹き付けます。主にどの様な人を惹き付けているかというと、大都市圏で雇われの身としてあくせく働き、都会の生活に疲労感と違和感を覚え、田園生活への憧れを抱いた様な人々です。
それ故に、「農的暮らし」は、「本当の豊かさ」とか「物質的な豊かさは必ずしも幸福に結び付かない…」といった、都会に疲れた人の琴線に触れそうな言葉と併せて使われる傾向があります。

そして、ここからが当記事の本題なのですが、私の知り合いに、都会でバリバリ働き、疲れ、「農的暮らし」に憧れ、田舎へ移住し、農的暮らしを始めようとし、結果挫折した女性がいます。今回、私はその女性、小海さん(仮名)にインタビューをして参りました。
小海さんには、何故農的暮らしを志向したのか、そして何故それは失敗してしまったのか、といったことを語ってもらっていますので、これから農的暮らしをしてみたいという方の他山の石となれば幸いです。

 

◆小海さんのプロフィール
大卒、30代女性。東京の大手企業で営業として働き、海外出張や深夜残業もバリバリとこなしていた。しかし、その生活に疲れを覚え、田舎での生活に憧れ始める。
そして2017年に長野県で寝食付きの農業研修を受け、研修後長野県に移住。
翌年、住まいの近くに畑を借り、農的暮らしを試みるも、収入源の仕事が忙しくなり畑が手につかなくなる。畑は耕作放棄地に、本人は地方在住のサラリーマンとなった。

 

――まずお聞きしたいのは、何で農業研修を受けたんですか?

小海:2016年に、東京での仕事が忙しく、満員電車も嫌で疲れている中、休暇で岡山に旅行に行きました。その際に、自然栽培(筆者注:農薬と肥料を使わないで農作物を育てる方法)をしているカフェに寄ったんですが、ごはんもおいしく、そういう農的暮らしは良いなあと思ったんです。

――カフェは若い人がやっていたんですか?

小海:そう、千葉から移住した人がやっていました。2015年にも秋田に行ったことがあり魅力を感じていたので、地方の田舎で暮らしたいと思うようになりました。

――岡山の旅行から帰って来て何か具体的な行動をしたんですか?

小海:インターネットで新規就農した人のブログを探して読みました。そしたら、面白かったんです。それで、この人はどこで農業研修を受けたんだろうと追ってみたら、長野県だったんです。

――その長野県の研修先のウェブサイトを見て、小海さんも研修を受けることを即決した訳ですか

小海:はい、元々植物に興味があり、大学では植物の遺伝学を学んでいました。農も植物を相手にする仕事なので、共通することはあるだろうと。

――研修を受けることを決めた時は、研修後の仕事のことなどは具体的に考えていましたか?

小海:いえ、考えていませんでした。でも、食べることに繋がる仕事をしたいとずっと考えていましたので、最初は、研修が終わったら東京に戻って飲食業をやるのだろうと何となく思っていました。でも、研修を受け始めてから、ゴールデンウィーク休みの時に東京に帰って新宿に行った時に、もうここには戻りたくないと確信しました。

――それで、長野県に暮らそうと思ったんですか?

小海:そうです。でも、農家になるのではなく、仕事をしながら畑をやろうと思いました。研修先のつてで、畑は3反(約3,000平方メートル)程借りられました。それで、今年(2018年)になり、長野県で定職も得て、働きながら畑をやり始めました。

――1人で仕事をしながらの畑3反はかなり広い。大変そうです。どうでしたか?

小海:ええ、大変でした。朝早く畑に出て、草刈りをしたり、マルチを張ったりしていたんです。でも、仕事が忙しくなり、畑の時間どころか寝る時間も減ってきて、住んでいる場所は長野県ながら結局東京の時と変わらなくなってしまいました。結局、現在は全く農作業をしていません。

――仕事が忙しくて畑に手が回らなくなってしまったんですね。残念です。それについて今、何を思いますか?

小海:農的暮らしを試みることを止めておけばよかったという後悔はありません。それは難しいという学びを得る為の時間だったのかな…と。研修中の私に見えていなかったのは、お金を稼ぐということです。研修が終わった後は、生活費が必要で、優先順位が完全に仕事になりました。

――新規就農した人でも、農業で稼げない分をアルバイトで賄っている内にアルバイトが本業になってしまった、という話をたまに聞きます。…まだ畑をやりたいという気持ちはありますか?

小海:はい。でもあんなに大きくなくていいです。

――今年は身の程を知ったということですね(笑)

小海:はい。2016年に東京で疲れ、2017年は長野県で癒され、2018年は結局長野県で忙しくなり、今はまた田舎を求めています。

――忙しく生活している人には「農的暮らし」は甘い言葉ですよね。

小海:甘いですねえ。

――それに挫折した小海さんに聞きたいんですが、農に縁のない人が、農に触れるにはどうしたら良いと思いますか?

小海:私は都市郊外にある市民農園みたいなものを軽視していたんですが、それも良いなあと今は思います。

――いきなり農業研修を受けるのではなく、ですね。小海さんは、農の良さとは何だと思いますか?

小海:畑の、あの土の中に何十万、何百万の生物がいる。私はそのことを30年間知らなかったんです。それを知れただけでも、私は農を志向した意味があったと思います。

――農からは地球の生命の営みを感じますね。小海さんには、是非また畑を始めてほしいと思います。ありがとうございました。

 

農的暮らし

写真左側が小海さんの畑、右側が他の方の家庭菜園

 

農的暮らしはそれを実践する人によって「農」の範囲や規模が異なりますが、小海さんの場合は勤め人としての仕事の量に対して3反の畑が広過ぎ、作業時間が確保できなくなってしまったということです。5m×5mの市民農園であれば、まだ農作業を続けられていたのかもしれません。
(ただ、サラリーマンをしながら小規模の家庭菜園を借りるという程度で小海さんの「農的暮らし欲」が満たされていたのかはわかりませんが)。

小海さんの様な勤め人の他にも農的暮らしを実践する方法として、「滞在型農園(クラインガルテン)に住み込む」「田舎で宿や飲食店を持つ」「在宅ワークをする」「アルバイトを掛け持ちする」「猟師をする」「手工業の職人をする」等、様々に存在します。

私としては、著しく人口減が進む田舎の土地や景観、文化の維持の為に、都会から移住して農的暮らしや農業に携わる人が増えて欲しいと願っています。

 

最後に:長野県で農を学べる場所

最後に、長野県で気軽に農を学べる場所を紹介して記事を結びます。

WWOOF JAPAN

WWOOF(ウーフ)とはWorld-Wide Opportunities on Organic Farmsの略で、有機農家(ホスト)と、有機農家に滞在して農業体験をしたい人(ゲスト)の交流を目的としたイギリス発祥の仕組み(現在は有機農家だけでなく飲食業者や宿泊業者も登録されている)。ホストはゲストに対して寝食を、ゲストはホストに対して農作業の手伝いを提供する。お互いに金銭の授受はしない。ウェブサイト上でホストとゲストが体験日時のやりとりをする。全国の様々な農家が登録されており、農的暮らしを学べる場として有用。もちろん長野県のホストも多数登録されている。

ワーキングホリデー飯田

飯田市の農家に滞在して農作業を手伝う制度。WWOOFと同じく金銭の授受はなく、参加者は農家で手伝いをする代わりに、農家から寝食を提供してもらえる。飯田市公式の制度なので安心感はあるかもしれない。

 

豊丘村ワーキングホリデー

下伊那郡豊丘村の農業ワーキングホリデー。滞在日数は2泊3日まで。ワーキングホリデーをきっかけに豊丘村へ移住した人もいるらしい

 

自給自足Life 自然菜園スクール

様々な無農薬の農法を学んできた竹内さんが安曇野市と長野市で開校している家庭菜園の教室。
(上記サイトより引用)当スクールでは、無農薬・無化学肥料で、自然菜園で野菜はもちろん、雑穀、大豆、自然稲作で稲作を体験しながら学ぶことができます。(中略)2013年から、毎年バージョンアップしながら、より分かりやすく、初めての方から、自然農・自然農法を行ってきたベテランまで、各コースで基本から応用まで実習を通して実践的に学ぶことができます。

 

長野県農業大学校 農ある暮らし入門研修

小諸市にある長野県農業大学校が主催する1泊2日の体験型農業研修。野菜だけでなく、米、果樹、蕎麦、豆類の作業体験も出来る。4月から11月にかけて毎月1度行われる。

 

飯山市ふるさと回帰支援センター 百姓塾

こちらは飯山市で行われている1泊2日型の農業体験。農作業の他にバーベキューや豆腐作り、自然観察などの田舎暮らし体験も組み込まれている。子供連れも参加できる。


信州せいしゅん村

現在は上田市に吸収合併された旧武石村で、村一体となって農村生活体験を提供している。本物の田舎で本物の村人(村生まれ、村育ち)と気軽に交流が持てる機会は実はそう多くないので、貴重な場である。田舎における農業、農的暮らしの実際を根掘り葉掘り聞きたい人には良い場所だろう。ウェブサイトの中は情報が沢山あり分かりにくいので、「こんな体験がしたいんだけど」と直接問い合わせるとよい。