かわる風景、のこる風景

気になるものごとや時季に応じて読みたい本をゆるーく紹介するまつもとひろい読み。今回ご紹介するのは「世界をきちんとあじわうための本」です。

かわる風景、のこる風景

先日、イオンモールの無印良品でのイベント「このまちに暮らすこと。」に行ってきた。
「#4 住むまちの選び方」というタイトルで登壇した文筆家の木村衣有子さんは、東京だけでも数回引っ越し、京都や岩手など、日本中に引っ越しをしてきた経歴があった。
その中で、司会の菊地徹さんが「居心地がいい街には、どんな共通点があるのだろうか?」という質問を投げかけた。木村さんの答えは、「街の中に、変わるものと変わらいないものが両方ある」ところだという。時間や季節によって変化に富む山や川や、街に住む人やお店などは、ほどよく変化がある方が面白い。一方で、絶えず何もかもが変わり続けるのは、それはそれで拠り所がないと感じる。東京・渋谷駅を例に挙げれば、常に工事中で、行くたびに歩く通路が異なる。一定の状態がなく、街が常に“(仮)”なのだと木村さんは言う。そういう点では、山や川、城や寺院などの風景は、基本的にはある日突然なくなってしまうことはなく、ランドマークとして愛着を感じやすいのかもしれない。

確かに風景は、基本的に変わることがない。しかし、一方では古い建物は常に更新され、失われる危機にある。今や松本市の一大観光スポットとなっている松本城も、明治期に入ると封建社会の象徴として取壊しが検討されたり、その後も誰もメンテナンスをしなかったために崩壊の危機を迎えたことがある。
では山や川ならどうだろう。松本市民の心のよりどころである北アルプスは、かつてはどこからでも見通しが良かったに違いないが、市街地にビルが建つにつれ、風景として街中からは見えにくくなりつつある。何より現代は多発する自然災害によって、街そのものの風景がなくなってしまう可能性だってある。時間が止まらない限り、風景もまた、変化し続けるものなのだ。

松本城は市民たちによって保存されて現在に至る。
保存を行うことができるのは人の手だけだ。
そうなると、私たちはいったい何を変え、何を残していけばいいのだろうか。

イベントの場ではあんまりもやもやしすぎて言葉にならず、その日は帰途についてしまったが、改めて考えてみることにした。

ふとしたきっかけで覗いた本にも、景観のことが書いてあった。
「世界をきちんとあじわうための本」は、ファン・デ・ナゴヤ美術展2013採択企画「のこりもの 世界の性質:残るということについての研究」の記録集として作られた本だ。
本のあとがきで、名古屋の大学の景観を保つ植木屋さんの仕事に触れていた。大学のキャンパスの中には、四季折々の植物がきれいに整備されている。しかし、驚くべきことに、なにげなくそこにあるサザンカの植え込みは、大学創設時から50年以上にわたってその風景の中に、ほとんど変わない姿である。大学内のメインストリートの歩道内には、いつのまにか雑草が伸びるが、頃合いをみて抜かれ、いつもきれいに保たれる。本の著者によると、「変化に気づいたら元にもどせ」という植栽のルールの中には、私たちの行動パターンが表れている。つまり、「ちがい」を見つけ(植物が伸び)、「ちがい」を生み出す(剪定or抜く)ことによって、その場に秩序をつくりだす。これが、デザインだ。

あらためて、街について考えてみる。いま、ここにある風景を私が美しいと思えるのは、その風景をデザインし、残してくれた先人がいるからだ。私と同じ風景を見て、同じ感性で美しいと感じた人がほかにもいる。その人に会って話してみたいという気持ちは、私を街に惹きつける。
すると、私が居心地がいいと思う街は、美しい風景のなかに、人の存在を感じる場所だといえそうだ。結局は、風景をきっかけに、新しい人とのつながりを求めて街に繰り出しているのかもしれない。

今回紹介した本

「世界をきちんとあじわうための本」ホモ・サピエンスの道具研究会
http://elvispress.jp/sekaiwokichinto/