昔ばなしから抜け出した山里 棚田百選青鬼の風景

青鬼(あおに)という場所をご存知でしょうか?棚田百選の1つにも選ばれた、白馬村の山中にある珍しい名前の集落です。今回は青鬼風景と古民家をご紹介します。

昔ばなしから抜け出した山里 棚田百選青鬼の風景

鬼の伝説に寄り添う集落。
棚田と北アルプスが共演する夢の舞台。

夜明け前の集落は、何かから身を隠すかのような静けさ。
ある種の緊張感を肌で感じながら、足音を立てぬように集落を進みます。

斜面に続く不揃いの棚田は、北アルプスを映す専用の水鏡。
代掻きしたばかりの水田は、薄暗い山里の中でひときわ明るく輝きます。

早朝の空気を全身で受け止めると、かすかに漂う土と水の香り。
やがて白馬の山々が春の霞にモルゲンロートに染まると、再び時間が動きだします。

昔ばなしから抜け出した山里 棚田百選青鬼の風景

こんにちは。県外ライターのこまきです。
桜や菜の花など春を告げる花が咲くと、信州にも本格的な春が訪れます。
やがて到来するのが、田植えシーズン。
水田に雪渓の北アルプスが映る風光明媚な景観は、この季節にしか味わえません。
今日は、そんな素敵な風景が棚田で味わえる、「青鬼」をご紹介します。

プロローグ

春の花が華やかな季節がひと段落するころ。
5月も半ばになると、頬を撫でる風も心地よく感じます。行きつけのバーの扉を開ければ、春らしいカクテルを傾ける女性の姿。シックな店内も心なしか華やかに映ります。

昔ばなしから抜け出した山里 棚田百選青鬼の風景

「あら。こまきさん。今日はどちらへ?」
マスターがいつものように声を掛けます。

「水田に映る北アルプスの写真を撮りにきたんですが、…もう今年は苗植わってますねえ。」
少し困ったふうに話すと、少し考えながらマスターが応えます。
「でしたら、少し標高上がられたらいかがですか?『あおに』なんか、素晴らしいですよ。」
「『あおに』?…どこですか?」
「白馬村です。棚田百選の1つで、たしか今時が田植えのシーズンです。朝焼けの頃がきれいですよ。雲海が見えることもありますが、運次第ですかね。」

『あおに』とは

白馬村の山中にある青鬼。「青鬼」と書いて「あおに」と読む、珍しい名前の集落です。

青鬼があるのは、白馬の平野部から標高150mほど上がった山の中。平野から隔離されたかのようなこの山里には、いまなお伝統的な古民家が多く残り、生活が営まれてます。

この古民家群は江戸~明治時代に建てられたもので、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。その景観は、昔話からタイムスリップしてきた世界そのもの。古の景観を現代に伝える、文化遺産のような集落なのです。

昔ばなしから抜け出した山里 棚田百選青鬼の風景 

(江戸時代にタイムスリップしたかのような古民家群)

この集落の文化的価値をさらに高めているのが、棚田と正面に見える北アルプスの存在。棚田百選に選定されるこの田園風景は、古民家のある山里の風景と合わせ、唯一無二の景観を見せてくれます。

鬼の伝説と青鬼

さて、この「青鬼」という変わった地名は、何に由来するのでしょうか。
実は、青鬼はその名の通り、鬼の伝説が息づく山里。伝説とは次のようなものです。

『昔、隣村に鬼のような大男が現れ、村人を苦しめました。そこで、大男を青鬼付近の底なし穴に閉じ込めましたが、いつしか穴を抜け出し、別の村に現れるようになりました。ところが、その大男は人が変わったかのように人助けをしたそうです。村人は、穴を抜け出した際に魂が入れ替わったと考え、お善鬼様として祀るようになりました。』

青鬼の鬼とは、なんと改心した善鬼のことだったのです。

昔ばなしから抜け出した山里 棚田百選青鬼の風景

(青鬼の集落を見守る棚田の道祖神)

いざ、青鬼集落へ

5月も中旬。夏至まで1ヶ月となると、日の出の時刻もぐっと早まります。白馬村の宿を出たのは朝4時過ぎのこと。まだ冬の感覚を引きずったこの季節、4時台の夜明けに体がついて行きません。

昔ばなしから抜け出した山里 棚田百選青鬼の風景

(夜明け前の白馬村)

目指す青鬼は、白馬の北アルプスとは逆側の山の中。菜の花の咲く田畑を通り抜け、朝靄のかかる姫川を渡り、山道へと入ります。

だいぶ明るくはなったものの、まだ薄暗い山道。道路は想像以上に広く、対向車に気を使うことはありませんが、勾配とカーブのきつい道が続きます。あっという間に高度を上げる道に、木々の間からは白馬の田んぼが遠くまで見渡せるようになります。

…しかし、本当にこんな山を登った先に集落があるのか?
そんな不安が膨らんだころ、カーブの先でいきなり目の前が開け、古民家群が現れます。

日本昔ばなしの世界へ

目の前にいきなり現れた古民家群。突然別世界に迷い込んだかのような、不思議な感覚に戸惑いすら覚えます。
集落の入口にある観光駐車場は、10台も停めればいっぱいのキャパシティ。駐車場の端で静かに車のエンジンを止めると、集落の静かさは驚くほど。思わず息をひそめます。
昔ばなしから抜け出した山里 棚田百選青鬼の風景

時刻はまだ4時半前。薄明るくなってきた空に浮かぶのは、特徴的な「かぶと造り」と言われる古民家の屋根。集落に続く道をゆっくり歩き出すと、静寂さにある種の緊張を覚えます。物音で静寂を破ることへの罪悪感とでも言えばよいのか、別世界にいるような緊張感といえばよいのか…。

昔ばなしから抜け出した山里 棚田百選青鬼の風景 

(特徴な形をした青鬼の古民家。兜造りの屋根。)

いかにも山里という風情の道に、軒を連ねる古民家。青鬼には白川郷のような優美さはありません。しかし、素朴な山里の風景は、日本の財産というべき景観に違いありません。この国にまだこんな風景が残っているとは、なんと素敵なことでしょうか。

古民家集落の道

十数軒ある古民家群と、その間をすり抜けるように曲がりくねる道。距離にしたら200メートルほどの道のりしかありません。九十九折の道の両脇に古民家が建っている、といったほうが正しいのかもしれません。

よく見れば。古民家の屋根には「水」などの文字が一文字だけ書かれています。それは、その漢字のもつ「意味の力」で災いを遠ざけようとした名残。「木」「火」「寿」…。この家を建てた人は、どんな時代にどんな想いでこの文字を選んだのだろうか…。

 
昔ばなしから抜け出した山里 棚田百選青鬼の風景

古民家の佇まいに想いを馳せながら歩いていると、大きなカーブの先でいきなり道が開けます。その先に現れるのは…そう、日本棚田百選に選ばれる不揃いな棚田群です。

集落を抜けて

古民家群の先には建物らしきものがありません。建物の終わりが合図であるかのように、田園風景が広がります。その数、なんと200枚!山の中に突然現れた田園風景に、しばしあっけにとられます。

 
昔ばなしから抜け出した山里 棚田百選青鬼の風景

(いきなり現れる棚田群)

山に向かって緩やかに続く坂道は、途中からきつい斜面に変わります。力強く山を登ってゆく道の両脇に、取りつくように広がる棚田。奥に進むほど斜面がきつく、棚田の谷側は石垣で覆われています。その様子は、まるで小さな要塞が連なっているかのよう。

棚田の両脇には新緑の森。山の斜面を切り開いて道を通し、民家と田畑を作ったのがよくわかる地形です。棚田の上の方は急な斜面と石垣に阻まれ、様子がよくわかりません。

いざ、棚田の道

そんな様子に誘われるかのように、ゆっくりと棚田の道を歩き始めます。日の出の時刻まであともう少し。あたりはすっかり明るくなり、あとは陽の光があたるのを待つばかりです。

古民家から少し離れると、風があることに気がつきます。…なるほど、古民家に守られていたんだ。そう思うと、古民家にも親近感が湧いてきます。風に乗ってただよう、水と土の匂い。両脇の棚田には水が張られ、空を映します。古民家の後ろには、森の間に見え隠れする、お目当ての北アルプスの姿。期待感が高まります。

昔ばなしから抜け出した山里 棚田百選青鬼の風景

棚田の中腹まで歩けば、この全体が見渡せるはず。見れば、この景色を目当てに数人が陣取っています。急がねば!

傾斜がきつくなった坂道を息を切らしながら進みます。見れば、要塞のような棚田は代掻きしたばかりの水。空も真っ青、雲一つない天気です。これ以上ないコンディション。眺望のよさそうな場所を見つければ、いよいよお目当ての景色とご対面です。そこには…

北アルプス、棚田と古民家の共演

モルゲンロートに染まる北アルプス。江戸の時代から続く棚田の鏡にその雄姿を映します。白馬の山々には、春を告げる雪渓がくっきりと浮かび、その模様を水鏡に刻みます。陽のあたりはじめた北アルプスは萌えるような輝き。この世界で圧倒的な存在感を示します。

青鬼

(青鬼集落、青鬼の棚田とモルゲンロートの北アルプス)

眼下に広がるのは白馬盆地。今日は民家まではっきり見えますが、この盆地が雲海で満たされる日は、さぞ幻想的なことでしょう。

白馬盆地を見下ろす青鬼集落は、眼下の村と深い森で隔てられています。その森にぼんやりと浮かぶのが、青鬼の古民家群。かぶと造りの特徴的な屋の古民家たちが、鬼の伝説を語りはじめます。

眼下に点々と続く棚田は、その一枚一枚が北アルプスや古民家などを映し出し、日の出とともに一斉に輝きだします。

 
昔ばなしから抜け出した山里 棚田百選青鬼の風景

(青鬼の棚田の日の出)

山と森によって時代の流れから守られてきた集落。こうやって、鬼の伝説が守られてきたのだと実感します。こんな風景がまだ日本にあったのだ。そう思うと、今日ここに来られたことを感謝しつつ、この景観を守って来られた方々に尊敬の念を抱くのです。

昔ばなしから抜け出した山里 棚田百選青鬼の風景

(陽の光を受けて輝く青鬼の棚田)

エピローグ

青鬼の棚田、いかがでしたでしょうか。

桜の季節が駆け足で終わると、間もなく田植えの季節がやってきます。春のほんのひと時だけ許された、棚田に映る北アルプスの光景。ぜひ松本から足を延ばしてみてくださいね。

いつまでもお善鬼様の伝説が、この景色と共に語り継がれてゆきますように。

昔ばなしから抜け出した山里 棚田百選青鬼の風景